アーカイブ (page 2 of 3)

白雨、スパイスカレー、電気工事士。

ひさしぶりに髪の手入れへ。

自宅近く、夫婦で経営する小さな白色の美容室。

家を出ようと鍵を手にとる。外は晴れた夏空。

スマホに届いたメッセージに目をやる。

ふたたび視線を外にやると、土砂降り。

まだ晴れ間も見える空の中に、大粒の激しい雨が降る。

まさに白雨。

洗濯物を取り入れる。

街中の屋根がキラキラ輝いていた。

今日のしらべはShin Sakirura「このまま夢で feat. AAAMYYY」

景色の中に音楽が溶け込む。

美容室の音楽が気になる時と、

何を流しているのか全く記憶に残らない時がある。

気になる時は、その曲名が知りたくなる。

帰り道、うろ覚えの記憶でディグしたりする。

溶け込むのがよいのか、溶け込みすぎないのが良いのか。

まるでスパイスカレー。

どんなスパイスが入っているのかわからないのが良いとき。

スパイスの香りの輪郭が、ひとつひとつ浮かび上がり笑顔になるとき。

結局どちらも良い。

*   *   *

電気工事士の資格がほしくなる時がある。

家のコンセントを自由につけたい。

コックピットみたいなトグルスイッチをつけたい。

いろいろな妄想がひろがる。

最近はワイヤレスなものも増えた。

スイッチもスマートスピーカーのおかげでほとんど触らない。

資格はもう少し保留かな。

触れ合い、器量、踏み絵。

昨夜は都内へ。一時期よりは人けを感じたが、それでも少ない。

久しぶりの人に会い、触れ合った。

たったそれだけのことなのに、心があたたかくなる。

帰り道、また別の人のもとへ。

たまりきった膿を出すように、笑顔が溢れた。

たったそれだけのことなのに。

今日のしらべは、PEARL CENTER&Kan Sano「短夜」

楽しい夜は、すべてに終わりが来ることを教えてくれる。

終わるのが名残惜しいから。

終わり方次第で、次の景色が変わる。

終わらないものは、人生でいくつあるのだろう。

終わらないものを、同時にいくつ抱えられるのだろう。

抱えきれる量の大きさを、器と呼ぶのかもしれない。

小鉢みたいに小さく、深さのないお皿。

載せたものが転がり落ちないよう、両手で持つ。

*   *   *

触れれば怪我をするかもしれないとして、

それでも触れたいと思えるかどうかは、

言うならば心の踏み絵なんだろう。

いつでも自分に選択肢があるわけじゃない。

お互いが小さな刃を振り回しているうちは

きっと触れなくても怪我をしてしまう。

触れたいと、思えるほどに、無防備なのだろうか。

より一層、秋めいていく空。

今年の夏は短い。

バルコニー、空気、道標。

9月になった。

今朝は、びっくりするくらい涼しい。

季節が変わったことを教えてくれるようだ。

珈琲をバルコニーで味わう。

寂しさをどこかに漂わせながら、心地よい朝がはじまった。

今日のしらべは、WONK「Small Things」

ここを書くときは、曲選びからはじまる。

曲が決まったら、1度フルで聴く。

曲が終わる前に筆が進むこともあれば、

すべてを聴いてから溶け込んだ空気のなかで書くこともある。

今日はすべてを聴いて、少し空気が馴染んでから書いた。

*   *   *

炭酸水が好きだ。

先日、少々注文しすぎたせいで玄関がごった返した。

「炭酸地獄だ」と私は言った。

同時に「炭酸天国だ」と告げる声。

同じことを言っているのに、言葉が違えば、景色も変わる。

否定的で鋭利な言葉より、肯定的で柔和な言葉。

わかっているのに、ついつい選択を誤る。

こんなとき、すぐ側にいる人に救われる。

選択は誤っていない。

*   *   *

今日もネットでは、否定し、攻撃し、蔑む言葉が溢れていく。

あんなにも優しかった人々が、毎分毎秒、言葉を尖らせていく。

今日ふれた水は、柔らかかった? それとも、痛かった?

天国も地獄も死後の世界。

道標は、生きている間に紡がれている。

花火、秋の訪れ、ときめき。

8月が終わる。今年の夏が終わる。

今年は、どんな夏だったのだろう。

いつもと同じ暑い夏。

いつもと違う暑い夏。

何も変わらなかった夏。

何かを変えられた夏。

今夜、江ノ島の夜空に花火があがった。

今日のしらべは、あれくん「好きにさせた癖に」

街に向かって自転車を走らせた。

いつもよりは暑くないはずなのに、気づけば汗だくになっていた。

月末はいつもこんな調子で、朝から忙しい。

どうにもならないかもしれないと思った春をすぎ、

なんとかなった夏を越え、

どうなるかわからない秋を迎える。

*   *   *

いつからか、不自然なくらいに、何にもときめかなくなった。

なにかにときめいていないと、誰にもときめいてもらえない。

きっとすべてのことがそう。

光輝き、熱を帯び、情熱を注ぎ、狂おしいほど愛し、そうして紡がれていく時間の中に、また誰かを熱狂させていく力が生まれる。

また、ときめくことはできるのか?

きっと大丈夫。惚れっぽいから。

9月の波は、少しメロウに耳をなでる。

頭、テレキャス、習慣化。

意識しつづけると、やがて無意識になり、習慣化される。

頭でいろいろ考えても身につかない。文字通り、頭につけるものではないから。

知識や理論で物事を捉えると、簡単に自分のものになった気がする。

これまでもそうだったし、そのほうが身についたと思ってきた。

ところが、もしかしたらそうじゃないかもしれないと、最近思うようになった。

身についたんじゃなくて、頭についただけ。

だから、時が経てば忘れる。

忘れないのは、繰り返し続けて体に染み付いたもの。

身につけるとは、意識の先にある無意識なのかもしれない。

今日のしらべは、toconoma「DeLorean」

今日は家にギターが届いた。久しぶりのエレキギター。

Fenderのテレキャスター。

若い頃はストラトキャスターが、かっこいいと思っていた。

いつの間にかテレキャスターが好きになっていた。

色もド定番のバタースコッチ。

テレキャスのバタースコッチなんて、一生手にすることないんじゃないかというくらい毛嫌いしていた。

スタンダードの良さがわかってきたのか、それともスタンダードを持っても良いと思えるようになったのか。

どちらにしても、分不相応な気がする。

単に歳をとったのかもしれない。

*   *   *

なんとかこのブログを毎日続けられている。

今日は、あやうく書き忘れるところだった。

23時前に気づくだけでも成長したのかもしれない。

習慣化まであとすこし。

離愁、おすそ分け、飽き。

8月の最後の週末。

学生なら夏のおわりが名残惜しい頃かと思ったが、今年は学生すらいつもの夏とちょっぴり違う。

いつはじまって、いつ終わるのか。夏のことが、誰にもわからない年。

変わらないのは名残惜しさだけ。

今日のしらべは、SHe Her Her Hersの「s」

毎回、淹れる音楽の1杯は、SNSにも投稿している。

曲についての解説はいつも書かない。

めんどくさいのかな。

ただ、なんとなく音のおすそ分けしたいだけだから。

*   *   *

昔は、ご近所同士でおすそ分けなんて、よくあった。

「この梨、○○産で、今がいちばん甘くて美味しいの。冷やして食べてくださいな」

おすそ分けに添えられる解説。

ありがたいときもあるけど、不要だなってこともある。

何の言葉もなく、ただおすそ分けを渡されても寂しい。

じゃあ、言葉添えたほうがよいのかな。

*   *   *

おすそ分けに言葉を添えるか否か。

純朴な大学生の男子が、お隣のセクシーなOLさんにおすそ分け。ドラマでありがちな光景。

「……これ、母ちゃんが送ってきたから」

やっぱり一言ぐらい添える。

そう考えると、ただリンク貼って投稿しているのは、あまりにぶっきらぼうか。

あしたから、一言ぐらい添えようかな。

それだときっと続かないだろうな。

続かないことはもうやだな。

続けられそうなことがよい。

飽きることに飽きてきた。

疲労、夏空、呼吸のしかた。

としまえんに行ってきた。

今月で長い歴史に幕を閉じる。

東京で生まれ育ったわけじゃない。だから思い入れもない。

事前に日付指定して購入したチケット。

当日が近づく。たまたまその日は雨の予報。

*   *   *

その日が来た。

朝、テレビの予報は相変わらず、時折はげしい雨と伝える。

結局、雨はふらなかった。

代わりに、雲が美しい、最高の夏空。

SNSのタイムラインは、空の写真で埋め尽くされた。美しい。

*   *   *

火照った体。こんなにも長時間、外で過ごしたのが久しぶりのこと。

翌朝、目が覚めて、ほんの少しの疲労感と、言葉で言い表せない多幸感。

外出はいつもこうでありたい。

今日のしらべは、春野「Dance At The Moonlight feat.kojikoji」

今年はチルなサウンドが流行っているそうだ。

個人的には大好きなフィールドなのでありがたい。

 好きなものが流行っていくと、だんだんさびしくなる思いもある。

この不思議な感覚は、娘が嫁に行く父親と同じ感覚なのだろうか。

*   *   *

開かなければ穏やかなまま。それがSNS。

わざわざ、心をざわつかせるために開くようなもの。

開くのは、それぐらいしか世間とつながっている気がしないからだろうか。

呼吸の仕方を変えたら、それまで楽しかったものが、急につまらなくなってしまう。

まるでタバコ。スモーキング。

喫煙者時代、煙は自分にとっての養分だった。辞めてしまえば、不要どころか不快なものになった。

呼吸は大切。

夏空に煙のようにうかぶ雲。

むにっとしていて、眺めていて心地よい。心の養分。

景色、プール、意味の必要性。

昨夜の宣言どおり、朝に筆をとる。

この夏、はじめてのまともなおでかけ。

こんな日に限って、時々雨の予報。

無味無臭な風景に、雨をふくんだ湿っけのある香りが加わる。

風は、木の葉がゆらぎ光が揺れ、さえずり、頬に触れて景色になる。

今日はきっと思い出になる。

今日のしらべはYONA YONA WEEKENDERS「SUNRISE」

MVをみて、知っている場所だと気づいた。

ここは、元々スイミングスクールのプールとして水が張られていた。

プールは水がなければ意味がない。だけど、水がないから意味が出る。

遠くでおよぐ彼女の姿。制服姿で脚だけ浸し、乱反射する太陽の光に照らされる姿。窓際に立つ彼女の遠い後ろに映る、水のないプール。

どれもすべて、景色になる。

*   *   *

使っているスマホ用のジンバルが、新製品を発表した。

不満点が解消された製品をほしいと思うのは、仕方のないこと。

今まで愛用していたお古は、意味がないものになる。

いや、本当にそうだろうか。

ふと手に握る。形はきっとどれも同じ。だけど、なんだか自分の手に馴染んできた気もする。

*   *   *

人も歳をとる。アップデートしない毎日を過ごす人もいる。

誰かに仕事をとってかわられたとしても、捨てられることなく、毎日を生きている。

意味のないものなんだろうか。誰かの景色としての存在なのだろうか。

そもそも意味ってなんだろう。生きていくことに意味は必要だろうか。

無意味であることもまた、意味があるような気がする。

目覚め、願望、劇薬の行末。

日が昇る前に目が覚めた。

夏の朝は、時折いつもより早く目が覚める。

こういう時は外の空気を吸いながら、太陽が昇る様子をこっそりと覗き見する。

藍色から茜色になり、青白く明るくなっていく。

ただ、それだけなのに、なんだか気持ちがスッキリする。

数時間もすれば、また日差しが熱を帯びてくる。

起きているものだけが味わえる、贅沢な時間。

今日のしらべは、YONLAPAの「Last Trip」。

YONLAPAはタイのバンド。この曲のMVは微妙にダサさをまとった感じが、とってもクールだ。

毎日、何かしらここに書くたびに1曲チョイスしたものを、Twitterにも投稿している。

SNSに投稿するのは、せっかく選んだのだから、1人でも多くの人に聴かせたいと思っているからだろうか。単に自己顕示欲が捨てきれていないのかもしれない。どっちも正解か。

なりたい自分には簡単になれない。だから、なりたいと願う。

なっているなら、こんなにも悩まない。

じゃあ、悩まなきゃいいじゃないかとも思うが、悩まない人間こそ、なりたい自分でもある。簡単になれない。だから人生は飽きない。

*   *   *

ブラックジョークなのか、そうではないのか。

人の不幸は蜜の味なのか、そうではないのか。

人間ってやつは、今の自分に満足していないとき、ついついだれかを言葉で貶めて、自らを保とうとする。

人は完璧じゃない。だから、そういうときもある。だけど、それが徐々に心地よいものになっていったら、どうだろう。

何でも摂取し過ぎはよくない。劇薬はクセになる。

*   *   *

毎日こうして書いていて、誰にも読まれない心地よさがある。

誰かに読まれたい衝動にも駆られる。

だけど1度でも教えてしまったら、きっと居心地が悪くなる。

じゃあ、また別の場所を作ればよいではないか。

いま、誰と対話している。自分と。

明日は昼前には家を出る。ほぼ1日、外出。I can’t stay home。

明日の今ごろは、ヘトヘトになっているだろう。

明日こそ、書けないかもしれない。

もしくは起きてすぐに書くのか。

明日が来ればの話。

忘れ物、継続、食べ残し。

エッセイをほんの少し読む。

翌日は、その続きを読む。

これが最近の寝る直前の過ごし方だ。

今日も読みかけのエッセイの栞をたぐる。

読み始めたのに、不思議と作業部屋が気になった。

そうだ。この日記を書くのをわすれていた。

ルーティンをわすれやすいのは、いつものことだ。

残り15分程度だが、まだ間に合う。

部屋の明かりをつけ、キーボードに指を置く。

今日のしらべは、SUKISHA feat. ぜったくん「天狗の子 – Life Goes On」

つい2時間ほど前に公開されたばかりのYouTube。

急いで開いた白紙に、ほどよく墨が落ちていく。

今日の自分にはぴったりな勢い。

*   *   *

辞めるのは簡単だ。続けるのも然り。

もっとも難しいのは、

思っていたとおりに進まなかった時にどう向き合うかだ。

Life Goes On。人生は続く。

この日記もまだ続けられそうだ。

*   *   *

いきつけの魚屋で買ってきた刺し身の柵。

しろい皿に並べる。一晩で食べるには少し多かった。

ぺろりと食べるのではなく、適量で別皿へ移し替える。

欲張りで、何でも平らげてきた。

しかし、今は明日の自分に残せるようになってきた。

あした生きているとは限らない。

明け方の太陽が昇るかも、まだわからない。

だけど、だから、届くかわからないラブレターのように、

明日へなにか残すのも悪くないと思うようになってきた。

カレーは二日目が至極だ。