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蝉の音、夏恋、不要不急。

不思議がられることがある。それは、蝉の鳴き声を、涼しいと感じること。

生まれ育った実家は街路樹と、お隣さんの大きな桜に挟まれていた。

夏になれば蝉がハーモニーを少しずつ重ねていく。

運動部に所属しているわけでもなく、どちらかというと出不精だった子供の頃。陽もまだ静かな明け方、エアコンの効いた昼間、風がひんやり頬をそよぐ夕方、蝉の音を聴くのはいつも涼しい場所だった。

風鈴の音を清涼だと感じるように、蝉の羽音は自分にとって、清々しく、涼しげなのだ。

今日のしらべは、Omoinotake「夏の幻」。

なぜ夏は恋の季節なのか。

なぜ夏が終わる頃には、切なく胸をしめつける感覚に苛まれるのか。

人生の中で、夏にした恋はいくつある? 

夏以外に味わった恋心よりも多い?

春も秋も冬も、どの季節の恋も、切なく胸をしめつける。

ただ夏は、どこか開放的で、いつもよりもほんの少し距離が縮む。

他の季節じゃ、届くはずがなかった距離。触れられたはずの手が、季節の終わりとともに遠くなっていく。

夜空は冬のほうが綺麗だ。だけど、一晩中ながめていられるのは夏。

いつもよりも、長く見つめて、いつもよりも、近く感じて。

だから、ほんの少し、切なさの量が多く感じるのかもしれない。

*   *   *

エアコンが害悪だと言われていた子供の頃。

インターネットが無かったあの頃。

気になる女の子へ送るスタンプはまだ存在しなかった。

あの頃の僕らと、今の子たちは、恋の導火線が少し違う。

不要不急の概念もまた違うだろう。

雨、不屈、カレーの香り。

大雨なんて本当に降るのか?

そう思っていた矢先に、外は土砂降りになっていた。

カーテンを閉めていてもわかるぐらい、激しい雨音。

天気予報を告げたスマホをふたたび握る。

雨のたびにはしゃぐ親子がいると、TLの書き込み。

素敵だ。楽しむのも、悲しむのも、自由。

勝手にやってくるものは、できれば楽しい方がよい。

サンタクロースとか、正月の親戚とか。強欲。

今日のしらべは 、kiki vivi lily × SUKISHA 「Blue in Green」

なんとなく、毎回1曲セレクトしている。

ディグってもディグってもハマらない日もある。

お気に入りの名曲をサラッと入れ込むのもよいが、諦めずに続けていると、見つかるものだ。

雨音が響いた今日にはバッチリな曲。

*   *   *

今日はひさしぶりにカレーを作った。

最近はもっぱら赤缶のスパイスのみでつくる。

今日は1年以上ぶりに、既製品のルーで作った。

前から気になっていたルー。

不思議な味だった。夏の合宿の香りがした。

また作りたいわけじゃない。だけど、また出会ってもよい。

そんな味。

雨もそう。

ネタ帳、苦痛、空き缶のビール。

「これをブログに書こう」

そう考えていたことは、だいたい忘れる。

忘れないようにメモをとっていたこともあったが

時間が経つと興味がなくなる。

しゃべりの仕事をしていた時もそう。

ネタをメモしてきても、その場のフリートークが盛り上がる。

*   *   *

書くこと、しゃべることが必要なのに、何も浮かばずに苦労する。

だから、ネタを用意して安心したくなる。けれどそれは使わない。

それでいい。アドリブは安心から生まれたのだろうから。

アドリブ自体が素晴らしいのではない。

それまでに用意してきた「安心」が素晴らしいのだ。多分。

今日のしらべは、リュックと添い寝ごはん「生活」

バンド名なのか、曲名なのかよくわからない系だと思ったら、曲がめっちゃよい。

MVも相まって、どの曲もいつでも青春ど真ん中に連れてってくれる。

心地よい。グッドミュージック。

*   *   *

やらなくていいことこそ楽しくなる。

やらなきゃいけないことこそ苦痛になる。

本当にたいせつなことは、いつまで経ってもわからない。

恋も愛も仕事も。

*   *   *

バズりたいから刺激的になる。

刺激的な自分は、その人が求めていたものなのだろうか?

持ち上げる人たちがいる。

持ち上げられて恍惚としている人がいる。

残るのは、投げ捨てられたペットボトル。

空き缶の中身は飲まれていない。

停止、胡麻油、鼻。

外出は物語。家に1日いると、何も起こらない。何も生まれない。

エアコンの効いた部屋は、時間が止まる。

駒を進めるために、足を外に向かわせる。

今日は時間が止まったままだった。

今日のしらべはSUKISHA × kojikoji「表情筋」

kojikojiの声は、どこで聴いても、なんど聴いても癒やされる。

夏はメロウで涼しく、冬はスローに温めてくれる。

*   *   *

今日は豚かつを揚げた。ごま油で。

部屋中に揚げ油の香りが漂う。

キャノーラで揚げた時は、ただただ不快な残り香だった。

同じように漂って、染み付いて。違いはわからない。

ただ、ごま油だとちょっぴり幸せな気になる。

*   *   *

それぞれの家には、それぞれの香りがある。

よそからすれば、うちはどんな香りなんだろう。

田舎の懐かしい匂い?芳香剤の甘い香り?それとも、また別のなにか?

自分の家の香りがわからないのは、いつもいるからだけじゃない。

しばらくぶりに帰った実家でも、鼻が違和感を感じない。

鼻にしみついて、一部になっている。それが居場所なのだろうか。

*   *   *

以前に里帰りした際、街の香りをとても強く感じた。

ただ、落ち着かなかった。

犬も香りで家に戻ってくる。鼻すごい。

餃子、砂浜、それぞれの毎日。

今日は晩ごはんをサボった。

中華の出前。無性に食べたくなったから頼んだ山盛りの餃子。

腹パンパンになって、眠たくなって、寝転んだ。

出前はつい頼みすぎてしまう。外食、基本そう。

最適な量って人それぞれだけど、お茶碗一杯の基準って誰が決めたんだろう。あれが多いのか少ないのか、今でもよくわからない。

今日のしらべは、堀込泰行「Sunday in the park + STUTS」。

曲を聴いていいなーと思ったら、歌手名をみて納得。元キリンジの人。

「エイリアンズ」は名曲。そういえば、今のキリンジって何人組なんだろうか。たしか4人組。

*   *   *

お盆も終わり、砂浜もずいぶんと静かになった。

以前は朝に散歩していたが、最近はほぼサンセットタイム。

いい感じで陽が沈んでくると、近所の人もぞろぞろと浜に集まる。

みんな、それぞれお気に入りのポジションがある。

愛犬を連れた人は、お気に入りのルート。

新しい誰かが訪れると、それぞれの居場所も変わる。波音が心地よい。

*   *   *

辺りが暗くなってくると、サーファーたちも陸へあがる。

丘に停めた自転車。板が濡らす砂。忘れられたビーチサンダル。

今日もまた毎日が過ぎていく。

海も風も太陽も、景色は毎日ちがう。

毎日はいつも違う。

坊主、鉄板、濃い夕焼け。

三日坊主ってすごい。大半のことは、三日ぐらいで、飽きるか面倒になる。

老若男女、貧富の差も、能力の差も、ほとんど関係なく、みんな等しいってぐらいで、三日で坊主になる。人ってそれぞれ、違うようでいて、意外に同じなところある。

この日記も三日で飽きたと思った。だけど、いざ白ページ開いたら、こうして書けている。たぶん、きっと、みんなそう。やったら意外とできる。できるから飽きる。出来ないことは一生あきない。

得意より不得意のほうが実は楽しい。恋愛とか。

今日のしらべは、ぷにぷに電気×Shin Sakiura「empities」

Twitterなり、Instagramなり、YouTubeなりで、適当にディグっているといろんなアーティストに出会う。それぞれは、音楽が主業なのか、副業なのか、趣味なのか、素性はよくわからなくても、みんなかっこいい。

*   *   *

今日は、数日前に買った鉄板を使った。ステーキとか焼いて木の皿の上に乗せる鉄板。コンロで火をいれて、中華鍋でつくったやつを移して、ジュワーって音がなって、煙が出て。

卓上に持っていったら、おもったよりも早くグツグツがなくなった。冷めたのかなと端っこ触ったら、まだ全然熱かった。見た目じゃわかんないのズルい。

*   *   *

お盆があけて、徐々に秋めいているのか、夕焼けが濃くなってきた。もうちょいしたら、富士山もよく見えるようになる。そしたら冬だ。まだ毎日30度以上の暑さでうだっている中で、冬の話は早い。

季節は夏が好き。

水色、桃、無糖。

エアコンの効いた部屋から、水色の空を見つめている。

あぁ、きっと外も心地よい気候なんだろうと窓を押し開ける。

暑い。

昨日は静岡で41度を超えたそうだ。今日も負けず劣らずだ。

目に映るものと、肌で感じるものに違いがあると、目が覚める。

今日のしらべは、kojikoji「いつかのDays」。

kojikojiはたまたまTLで流れてきた動画で知った。彼女の歌声に一発で惚れた。それ以来、よく聴いている。コラボが多いが、もっとソロ曲が増えたら最高だ。無限にチルできる。

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桃を買ってきた。ピンクじゃなくて黄色の桃。

何気にちゃんと剥くのは初めてだった。やり方がわからずに1玉は無骨というには褒め過ぎな形になった。

スマホを開いて調べる。アボガドみたいな剥き方だった。色々と甘かった。

*   *   *

桃の甘さが口に残っていたので、アイス珈琲をつくった。豆から。苦味が口の中に響き渡る。そう言えば、豆カラってあったな。テープデッキが正面にくるのがなんとも愛くるしいフォルムだった。

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珈琲の飲み方は、これまで何度となく変わっている。割と長くやってきたのは、ノンシュガーのアイスラテ。最近は、豆から入れているのもあってブラックが主だ。

美味しいものは、シンプルにそのままが一番よい。素材がよくないと、あれこれ足して、それでも満足できないから、さらに刺激的ななにかでごまかそうとする。人生に似ている。

生活とはめんどくさいが、シンプルだ。シンプルにめんどくさい。それでいい。指先から桃の香りがする。

音、清涼、イナダ。

朝から暑いのは夏だから。

昼前に家から飛び出して、街へ向かった。

チャリはいつもの相棒じゃなく、借りてきた電動のやつ。

電動なのは、暑いから。

今日のしらべは、春野「Kidding Me」。

夏の暑さには、チルなビートと歌声が心地よい。

風鈴も、蝉の羽音も、本当はうるさいはずだけど、

暑さの中では、むしろ涼しく感じる。蝉は暑いって人もいるけど。

風もなく、ただ静かに熱を感じる空間にいると、聴こえてくる音は涼になる。チルなサウンドもそんな感じ。清涼飲料。

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街に出て、行きつけの魚屋にいく。ここの刺し身は安くて量があって旨い。

いつも買うのはサーモンの柵。サーモンの刺し身は、そこまで好物じゃなかったし、敢えて買うようになるとは思わなかった。だけど、ここの店のサーモンは、ヤバいぐらいに旨い。養殖だろうに、不思議だ。なにか混ぜられてるんじゃないかと思うほど。

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魚をさばいたことがなかったけど、ここ最近ずっと魚をさばきたい欲がすごかった。理由は、この魚屋。緑のプラスチック皿にもられた、魚の山をみると、買いたくなる。

サーモンの柵と、イナダの柵を手にしながら、魚の山に目がいく。

オヤジのバカでかい声が店中に響く。店の中は涼しい。だから、オヤジの声は暑い。

イナダの柵をケースに戻し、さばいてないイナダを買った。ほどよい大きさ。2尾で700円。家に帰り、三徳包丁で捌く。

YouTubeでイメトレは完璧。手こずるかとおもったら、意外とあっさりとさばけた。

大量に皿にもられたイナダの刺身。うまかった。

出刃包丁が欲しくなった。

胃袋、SNS、藍と黒。

料理をつくり、写真を撮り、食べる。

食べれば、SNSへアップする。いいねがつく。

意味はよくわからない。ただ、なんだか嬉しい。

目の前にいる人の胃袋を満たすために作った料理。

気づけば、自分の自己顕示欲を満たすための作品になる。

今日のしらべはyobai suspects feat. WONKの「NEVERLAND」。

たまたまYouTubeで見かけた。おそらくインディーズ。チャンネル登録者はまだ44人。さっき45人になった。

*   *   *

今年の夏は酷暑。STAY HOMEで部屋は涼しい。暑いのに涼しい。

涼しい部屋から、窓越しに空を眺める。

雲の少ない空が、徐々に藍色になっていく。

ぼーっと眺め続けていれば、いつまでも藍色だ。

ふとスマホに目をやり、もう一度、空へ目をやる。

真っ暗だ。

僅かな時間で、空が漆黒になったのか?

理由はわからないが、もう空は暗かった。

今日の飯もうまかった。ベッドでは寝息が静かに響いている。

このまま、隣に滑り込む。

海、珈琲、昨夜の牛丼。

誰が読むわけでもない、そんな日記が好きだ。

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昔話ばかりするようになったら、年をとった証。

昔話が楽しくなったら、いくつもの青春を過ごしてきた証。

昔話の意味が、自分の過去になったら、人生折返し。

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バルコニーに飛び出せば、江ノ島が見える。寄せては返す波のしずくも、風がもたらしてくれる潮の香りも、なにもかもが心地よい。

長い雨のあと、猛暑が続く。都内では連日のように激しい雷雨も続く。

*   *   *

今日のしらべは、TENDREのHOPEにした。

MVがかわいい。しばらくみていると、かわいいから不思議と湧き上がる環状に、思わず涙腺が緩みそうになった。

*   *   *

朝は寝起きにコーヒーの豆を弾き、あたたかいコーヒーを2杯入れる。

最近は、そこから適当な野菜やフルーツ、スーパーフード的なものを入れたスムージーを作っている。しかし、今朝は牛丼だった。

昨晩つくった牛丼。オレンジの看板の、あのお店の味を少し真似して、白ワインを入れる。卵をはしでとき、流し込めば至福のひととき。

昨晩とは違う、染み込んだ味と、少しかたくなった肉。玉ねぎはもうしなしなだった。

*   *   *

何か考え事をするときは音楽を聴かない。

何か考え事をしたくない時は音楽を聴く。

ふと、新しいブログをはじめた。

承認欲求とはまた違う、自己解決の白紙として。