不思議がられることがある。それは、蝉の鳴き声を、涼しいと感じること。

生まれ育った実家は街路樹と、お隣さんの大きな桜に挟まれていた。

夏になれば蝉がハーモニーを少しずつ重ねていく。

運動部に所属しているわけでもなく、どちらかというと出不精だった子供の頃。陽もまだ静かな明け方、エアコンの効いた昼間、風がひんやり頬をそよぐ夕方、蝉の音を聴くのはいつも涼しい場所だった。

風鈴の音を清涼だと感じるように、蝉の羽音は自分にとって、清々しく、涼しげなのだ。

今日のしらべは、Omoinotake「夏の幻」。

なぜ夏は恋の季節なのか。

なぜ夏が終わる頃には、切なく胸をしめつける感覚に苛まれるのか。

人生の中で、夏にした恋はいくつある? 

夏以外に味わった恋心よりも多い?

春も秋も冬も、どの季節の恋も、切なく胸をしめつける。

ただ夏は、どこか開放的で、いつもよりもほんの少し距離が縮む。

他の季節じゃ、届くはずがなかった距離。触れられたはずの手が、季節の終わりとともに遠くなっていく。

夜空は冬のほうが綺麗だ。だけど、一晩中ながめていられるのは夏。

いつもよりも、長く見つめて、いつもよりも、近く感じて。

だから、ほんの少し、切なさの量が多く感じるのかもしれない。

*   *   *

エアコンが害悪だと言われていた子供の頃。

インターネットが無かったあの頃。

気になる女の子へ送るスタンプはまだ存在しなかった。

あの頃の僕らと、今の子たちは、恋の導火線が少し違う。

不要不急の概念もまた違うだろう。